前回の記事の中で触れた、人を思いやったり助けたくなったりする人情についてですが、

私には、人の持つ愛情や共感はとても自然なものであり、
小さな子供の頃から誰にでもある、あたたかい情だと感じるのと同時に、

でも一方で、自分の体験や知識、常識など、自然にわかっている範囲を超えた身近でないものは、
人はあるがままだと相手の身になって想像することが難しく、共感を感じにくい面があり、

そうした共感や想像の欠如が、今まで様々な差別や戦争などに繋がってきたのだとも思っています。


少し前まで人間は、生まれた地域社会からほとんど出ずに一生を終えるのがほとんどで、
その狭い世界を広げてくれる情報もほぼ皆無だし、必要もなく、それも無理はなかったのですが、

(日本でいうと、江戸時代には、数年に一度訪れる富山の薬売りが仕入れてくる各地の話が、
非常に珍しい娯楽だったというようなことでも、今との違いを察することができると思います。)

自分の体験では測れない相手の体験を想像したり、自分の常識とは違う、別の視点や考え方を受け入れて、自分の感情だけにとらわれずに相手の身になってみようとしたり、

そんなことができるようになって、
より共感や愛情で人同士が繋がることができるようになるのを助けるのが、

TVや新聞、ネット等の情報の役割であり、教育の真の目的だと、私は思っています。


昨日あの記事を書きながら、それに触れることができず、うまく書けなくてもどかしかったので、
ちょっとだけ付け足しです。


だから、相手を思いやる人情は、自然な愛でもありながら、

それが直接自分と関係ない、色々な意味で遠い誰かに発揮される時、
それは小さな自己として生きる範囲にとどまらない、人としてより成熟した情でもあるのだけれど、

そんな素晴らしいものでも、知らないうちにそればかりに強く引かれて、
罪悪感や自己犠牲に絡めとられてしまうと、苦しい変なことになるので、

やはり自分の体と心に、いつも問いかけて確認しながら、自分の生活と安心感を大事にしながら、
健全なバランスを探すのがいいのだろうな、と。

そんなことを書きたかったのです。



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